秋の陣
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烏帽子形城跡
激しい攻防戦 上田町と喜多町にまたがって烏帽子形公園があります。公園内には中世の山城・烏帽子形城跡があり、敵を足止めする巨大な空堀や土塁、傾斜を造成した曲輪などの遺構があります。この城跡で、河内長野市教育委員会ふるさと文化課が主催で平成22年10月22日に中世の合戦を再現しました。
 厚紙で作った自作の甲冑を身に付けた、市内の小学校5年生の児童約140人が畠山軍、阪南大学(松原市)国際観光学部学生約120人が三好軍に分かれて模擬合戦が展開されました。
 ペットボトルで作ったホラ貝を合図に合戦が始まりました。同大学学生達が扮した三好軍が正面攻撃や側面攻撃、別働隊よるに奇襲攻撃を仕掛けました。畠山軍の児童達は本丸を守備し、紙製の槍を武器に土塁を登って攻撃してきた三好軍を、新聞紙をボール状に丸めて作った飛礫を投げたり、紙製の刀で応戦しました。槍・刀や飛礫が当たると退場するルールで相手側の大将を先に退場させた方が勝ちとなります。迫力満点の激しい戦いの末、今一歩のところで三好軍の敗退となりました。
 地元に残る歴史遺産を活用して児童達が模擬合戦を通じて歴史の体験学習と郷土愛の育み、同大学は河内長野市と共同での企画・準備・現場調査・実施を通じて学生達の観光実習をしました。 
 烏帽子形城は、応仁の乱以降に畿内でくり返された合戦に使われました。特に、守護大名・畠山氏一族内の戦い、河内守護大名畠山高政と摂津国・三好三人衆との戦いの舞台として、また豊臣秀吉による紀州根来衆攻めの戦略上の重要拠点になりました。さらに宣教師ルイス・フロイスの著書「日本史」にキリシタン大名が城を治めたことが記述されており、欧州まで伝えられた山城です(平成22年10月22日取材)。

 
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総勢260人の軍勢
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出陣の畠山軍
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出陣の三好軍
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本丸を攻める三好軍
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激しい攻防戦