地蔵盆

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御所の辻
盛大に行われている御所の辻の地蔵盆 盛大に行われている御所の辻の地蔵盆
   むかし皇族のお姫様が高野山に参詣されたときに、ここで休憩を取られていました。ところが何故か原因が判らないが、お姫様が突然行方が分からなくなりました。大騒ぎになって皆んなで附近一帯を捜しましたが、ついに見付けることができませんでした。
 そこでお姫様の菩提を弔うために、村人たちがお堂を建て地蔵菩薩をお祀りしたと伝えられています。
  また別の一説では、むかし後村上天皇が吉野から天野山金剛寺へ移られる途中ここで一休みされたとき、一行のなかの子どもの身に不幸があったそうです。行方が分からなくなったのか、病気で亡くなったのかはよく分かりませんが、その子どもを供養するためにお地蔵さんをお祀りしたとも伝えられています。
 午後7時ごろ地区の老若男女が集まって般若心経を唱和して地蔵さまをおまつりします(2年前までは般若心経でなく御詠歌を上げられていたそうです)。
   御所の辻の名称由来
 正平(1346年)の昔、四条畷の戦いで楠木正行が戦死したため、後村上天皇が難を避けるため皇居を天野山金剛寺に移すために、紀見峠を越えてこの辻に差しかかったとき、日が暮れてしまいました。そして、ここで一夜を明かされたと伝えられています。この光栄を村人たちが喜び、誰が言うともなく、ここを御所の辻と呼ぶようになったそうです(2007.年8月取材)。
出会いの辻
出会いの辻の地蔵盆 天見駅の南西方向に出合い橋があり、この辺りを出合いの辻と呼ばれています。南朝方の楠木軍と北朝軍が出会って戦ったところから地名となったそうです。
 ここに西国24箇所厄除け地蔵大菩薩の第2番目の地蔵堂が在ります。ここのお地蔵さんは北を向いておられます。地蔵盆の時にお堂にかけられている幕は色がはげていて相当古いものだそうです。
 この地蔵堂の後方に小高い山があります。王の塚とも見方塚とも呼ばれています。この山中に五輪塔が建っています。この附近は南北朝時代に「安満見合戦」と言われる激しい戦闘が行われた所です。この五輪塔は、この戦いで戦死した楠木軍の武将の墓とも将兵の墓とも言われています。この戦死した南軍の将兵を弔うために地蔵堂をつくり地蔵菩薩をお祀りしたと伝えられています(2007年8月取材)。