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勘定つり

小深地域では12月中旬に天狗堂境内で地区総出で注連縄を綯い、境内の入り口にかける行事が古くから行われています。昔は、疫病や悪霊が地区に入てこないようにする呪術的な意味を持ち、また道きりとして地区の境界線という意味もあったようです。これを当地区では「ナワカケ」「シメカケ」「勘定つり」と呼んでいます。
 (2007年12月中旬取材)>> 続きを読む...

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まず、今年と来年の年行司は「勘定つり」の材料である藁のシブ(藁屑)を取り除き水うちし、木槌で打って軟らかくしたものを60束ほどと、長さ35〜40cmほどの雄葉と雌葉の樫の木の枝葉を数束、用意し氏神さん(宮さん)にお供えします。
 「勘定つり」は、力のある綯手3人と小分けした藁をわたす人の4人が中心になって、左縄を綯っていきます。藁の株元を綯い込むのでなく「蛇の足」といって15cmほど外に出して綯っていき、出来上がりは直径10cmほど長さ4mほどとなり、普通の注連縄でなく蛇のようにつくられます。この藁の株元を外に出して注連縄を綯うのは、綯った注連縄が抜け落ちないようにとの配慮と、蛇の様に綯うの“蛇”を“邪”に引っかけて邪悪なものの侵入を防ぐと言う意味を持たしているようです。綯いあがった勘定つりの2ヶ所に、先ほどの樫の木の雄葉と雌葉の枝葉を互い違いにして細縄でくくり付けて完成させます。
 このようにして作られた注連縄を天狗堂境内の入り口に、およそ東方向に向け石見川と国道310号線をにらむようにして、縄の両端を立木に結わえつけます
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文政年間、源松苗著「国略史」の敏達天皇の条に「 敏達天皇が天皇の位に就くときに大井の里に宮殿を造った。その宮跡が大井にあるという」このことから、元は天皇(天王)堂と呼ばれていたが、天皇堂と呼ぶのがおそれおおいことから天狗堂に変えたという伝承があります。飛鳥時代に飛鳥から吉野川を下って大沢峠を越えると石見川上流の小深、大井に通じるところから、この辺りは交通の要所であったので、このような伝説が生まれたのでしょう。明治までは小深神社がありましたが、廃仏毀釈の時に川上神社に祭神が合祀されました。現在は、氏神さん、大日如来座像、釈迦如来、不動明王が安置されています。
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氏神さん閉じる
勘定つりの綯いはじめ閉じる
勘定つりを綯うのは力仕事閉じる
勘定つりの最後の仕上げ閉じる
勘定つりの掛けている模様閉じる