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日野獅子舞・春日宵宮

 河内長野市指定無形民俗文化財。
  今から数百年前の昔から伝えられている秋の収穫を祝う獅子舞で、別名「六斉念仏(ろくさいねんぶつ)獅子」ともよばれ、人形芝居と共に日野地域に伝わり発展してきたものであります。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)時に当地の春日神社が高向神社に合祀されて以降、日野地域(みのでホール)だけでなく高向神社の神事の一つとして 毎年10月の秋まつりに奉納されるようになりました。(2014年10月初旬取材)。>> 続きを読む...

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口伝えでありますが、天授(てんじゅ)三年(1377年)の正月に当地でこの獅子舞を奉納されたと云われています。獅子舞と人形芝居は六斎念仏講の遺物でありました。念仏はいつごろ途絶えたかは不明でありますが、人形芝居は明治維新前に、獅子舞は日清戦争頃(明治27年)に途絶えました。その後、獅子舞は昭和8年秋に復活し、いつまでも伝承するために昭和48年に保存会が結成されて現在に至っています。
  この獅子舞は、これまでは巣垣(すがき)の舞、
乱曲(らんぎょく)の舞、床几(しょうぎ)の舞、花の舞、地巣籠(じすごもり)の舞の五つの舞で構成されていましたが、2009年から女子の“風の舞”を加えて六曲六舞として再構成されました。2010年には風の舞の獅子頭と衣装が新調され一層の充実が図られました。
  古来から地域の人達が獅子に委ねる願いが多くあり、「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」、「無病息災」、「子孫繁栄」、「その他悪霊祓い」など、自然の力に立ち向かう力強さを獅子に求めたものとされています。
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京都を中心に広く行われていた念仏踊りの1つであり、鉦をたたき鳴らして念仏を唱えた。
  日野の六斎念仏 は高野山慈尊院光明派に属し、光明講と言われた。芝居狂言や獅子舞は念仏を広める手段であった。
 六斎とは、月に6回の集会念仏日とし、日野では1,8,15,17,23,28の日を斎日とした。斎日は前夜から魚貝肉ネギを断食し、檀に入る前に沐浴斎戒した。場合には物断生物断不食断食の行もした。有縁無縁の霊を弔い、鳴り物が鉦・笛・太鼓に変わり踊りや獅子舞を伴うようになった。
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